由利本荘ひな街道
え”~~今頃お雛様!?とお思いの方もいらっしゃると思いますが、矢島は4月3日にお雛様をしていたのです。子供頃に聞いた記憶では、3月はまだ寒いからだとか・・・大事な娘を寒いお座敷でお祝いするのが可愛そうということだったのでしょうかね。
何はともあれ、『矢島地域のおひなさま』 と題して2/24~5/6まで、矢島郷土文化保存伝承施設で矢島の城下や旧家に伝わる、古い雛人形展が開かれております。
藤田家(矢島町羽坂)の享保雛です。江戸時代の享保年間(1716~1736)に流行した雛人形。
男雛の冠が金色で女雛・男雛ともに装飾が金・錦を用いたのが特徴で、この頃は段飾りではなく、毛氈を敷き雛人形の前にお供えのごちそうなどを並べたため比較的大きく作られてましたが、だんだんと大きく豪華になり、「奢侈(しゃし)禁止令」(贅沢禁止)が幕府から出るほど一般町人の間まで浸透し商業化された。とされております。
江戸時代の明和年間(1764~72)頃。、「古今雛」の名称は、古式の雛と現今の雛の要素を折衷させて作ったことでこの名で呼ばれています。この頃から段飾りをするようになり、現代の雛人形もこの系統を継いでいます。
昭和30年に栄町大火があり、熊谷家も被災し残ったのが男雛と女雛、五人囃子だけとなったようです。
すべて揃っていて、見るも豪華なお雛様です。
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「奢侈禁止令」(贅沢禁止令)に反動し極小の雛人形が作られるようになり、芥子粒ほどの大きさ(約3cm)であることから、この名がつけられたそうです。
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花より団子の私は、こういうのが目に付いてしまいました。
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矢島町で明治38年創業の原田栄泉堂さん(矢島町城内八森)が作った現代の雛菓子です。
左が男雛と女雛の菓子です。可愛くって食べられない。
右は矢島名産の虎の子まんじゅうを小さくしたのや、色とりどりに一口大に作られていて見ていて楽しくなりますね☆
昭和30年代後半までは、赤いいらこ付き丸餅(白い大福状の丸餅の上に、赤く染めて細かくした餅米(いらこ)を丸くのせて日の丸状にしてお雛様にお供えしたそうです。
今日はいいものを拝見できて幸せだな~~
ということで、天寿:壱花蔵!!ふんわりとした優しい香りで夢ごこちへ誘います。
そして、口に含むとさっぱりした感覚の味で、酸味が利いた旨みがおししいのです。
地元の歴史ある雛人形をみて、地元の歴史ある蔵元のお酒をいただいて、矢島を満喫しております。ありがたいことです。
ヾ(☆▽☆)
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